引き出しを片付けるとき、最初にすることは中身をきれいに並べることではなく、一度ぜんぶ外へ出すことだった。机の上に広げてみると、必要だと思っていたものの多くが、ただ残っていただけだと分かる。

文章も似ている。頭の中にあるときは全部が重要に見えるのに、書き出してみると、残すべきものとそうでないものの差が少しずつ見えてくる。書くことは、考えを増やすことではなく、置き場所を確かめることなのかもしれない。

空いた引き出しには、すぐ何かを入れたくなる。けれど、しばらく空けたままにしておく時間も必要だと思う。余白があるから、次に入ってくるものの形が分かる。詰め込まれた場所では、新しいものの輪郭が見えにくい。

自分のための記録にも、空の引き出しのような場所があるといい。まだ名前をつけられないもの、結論にできないもの、誰かに見せるほどではないけれど捨てるには早いもの。そういうものを、急がず置いておける場所。

片付けの終わりは、ものが減ることではなく、取り出し方が分かることなのだと思う。必要なときに開けられる。開けなくても、そこにあると知っていられる。記録もたぶん、それくらいの距離で残っていれば十分なのだと思う。